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『紫の風 水仙の想い』

今年もそろそろ水仙が咲き始めました。

suisen_009.jpg

昨年8月17日、母が亡くなりました。
今回はそのことについて書きます。


経緯
*文中、青字部分は私自身に関する記述です。
母が肝臓がんと診断されたのは、4月の初めのことでした。
肝臓の片方に三つ、3㎝くらいのものが一つと1cm以下のものが二つ、発見されました。
即日入院手術の日程が組まれ、
母は楽しみにしていたカラオケ大会への出場もキャンセルせざるを得ませんでした。
手術は肝臓の片方を切除する手術で、
母が通っていたA病院の主治医の先生が執刀することになりました。
幸い手術は成功し術後の経過も良好で、GW前、予定通りの退院になりました。

ただ、肝臓がんは転移や再発を起こしやすいがんなので、
退院後は検査を密にする必要があります。
5月2日、術後の経過を見る検査に同行しました。
検査は血液検査のみで、『数値も良好』との事で、一安心していました。
その後、『きみずが上がる(すっぱいものがこみ上げてくる)』ということで、
5月6日、再びA病院を訪れました。(この日は同行しませんでした。)
『再入院』と連絡を受けたのが当日の午後。
とりあえず2~3日の入院ということなので、身の回りの品を持って行きました。

翌7日の夜、急変しました。
寝耳に水です。
高熱を発し、寒さを訴え、同時に強い足の痛みもあるようでした。
私がそのことを聞いたのは8日の朝でした。
半信半疑で駆けつけると、そこには苦しむ母がいました。
高熱があり、足がかなり痛むようで、しきりに『足をさすってくれ』と言います。
A病院でも原因が掴めていない様で、人の出入りが激しくありました。
午前8時を回るころになって、ようやくCTを撮ってもらえました。
検査結果を踏まえて医師の説明がありました。
『肝臓の上に液体が溜まっている。恐らく胆汁だろう(胆汁漏=たんじゅうろう)。
液体を採ってみないとはっきりとしたことはいえないが、敗血症の恐れがある。
抗生物質の投与をする。大量に点滴を送り込むために首の付け根の静脈から入れる。
(中心静脈カテーテル)足の痛みに関しては不明。』との事。
2~3日の軽い入院のはずが、あっという間に点滴や測定器だらけの重病人です。

敗血症は命に係わるものです。
とりあえず足の治療よりも敗血症の治療を優先して、足はシップやマッサージでしのぎます。
とにかく足が痛がるので、なるべくマッサージをしてあげることにしました。
また、敗血症になると幻覚を見たり正常な判断ができなくなるため、目が離せません。
毎日朝から夜まで付き添って、母の要望に沿って水やお茶、あるいは氷などを用意します。
私にできることは、その程度のことしかありませんでした。

ある晩、母はベッドから降り、帰ろうとしていたそうです。
それ以来、『目が離せない』からとの事で、
一般病室からナースステーションの隣の部屋に移りました。
敗血症が重篤期を過ぎて会話ができる程度に回復しても、
まだ正常な判断ができずに周囲を困らせます。
朝6時頃に電話がかかってきて、『まだ来んの?(まだ来ないの?)』と言ってきたりします。

  私がうつ病であることは当ブログでも何度か書いてきました。
  うつ病の症状の一部として、倦怠感や疲れやすさ、疲れの回復の遅さ等があるのですが、 
  連日の看病での疲れが回復しないまま看病を続けなければならず、 
  心身ともに疲れは蓄積する一方でした。

この段階になっても、足の痛みにはほぼ何も手を尽くしてはくれません。
母はとても痛がります。
医者に対してかなり強く『足の痛みの原因究明を』と要望し、
ようやく整形外科の先生に見てもらえました(担当医は外科)。
結果は、ひざの周辺に膿が溜まっており、白血球の数値が高くなっているとの事でした。
特に左は右の5倍ほども数値が高く、菌の多さをうかがわせるものでした。
処置として、ひざに溜まった膿を抜いてもらい、少し、軽快したようでした。

5月半ばになり、準一般病室に移りました。
意識もしっかりしてきて、常識的な思考ができるようになり、
それでもまだ目が放せない状態です。
足の痛みも続いています。
病院食の不味さもあってか食欲も無く、リハビリに行くのも辛そうです。
ベッドから車椅子に移動することすらままならない姿は、見ていて痛々しいものがありました。
『もう一度整形外科の先生に』と何度も要望しましたが、見てもらえませんでした。
この頃からA病院に対する不信感が芽生えます。

一般病室に移ってしばらくたった頃、この頃は点滴の量も少なくなっていたのですが、
主治医から胸部リンパ節への転移を告げられます。
六月はじめの事です。
腫瘍内科での抗がん剤治療を指示されます。
A病院には『腫瘍内科』という診療科はあっても、専門医は常駐していません。
週に一度、他病院からやってきて外来で治療に当たるようです。
こちらからの質問には『専門外だから』との理由で十分な回答は得られません。
ただ、『通院で抗がん剤治療を行う』『詳しいことは専門医から聞いてください』というだけです。

専門医から話しを聞ける日、その日は心配した5~6人の親族が集っていました。
今か今かと待ちわびる中ようやく現れた専門医は、数枚の資料を残し1~2分で去っていきました。
唖然、呆然です。
一般に抗がん剤は人によって合う・合わないが多々あると聞きます。
激しい副作用が出ることもある、とも聞きます。
『そんな治療を通院で行うことで危険は無いのか?』と聞きたかった私は、失望し、落胆しました。
熟慮の結果、転院させることにしました。
主治医にそのことを告げると、『紹介状を書きましょう。ただ、まだ退院の許可は出せない』という。
『なぜ?』との問いに主治医は、『足のリハビリが終わっていないから』と言います。
ハァ?ですよ。
『がんの治療と、足のリハビリと、どっちが大事なんだ?』
『今まで足の治療に消極的だったくせに、今更何だ!』
出掛かった言葉を飲み込んで退出しました。
私が怒りを抑えたのは、母がそういったことを望まない人だからでした。

  この頃の私には他にもやることがありました。
  日常のことは勿論、裁判への対応(後述します)、
  根拠の無いまま騒ぎ立てる親戚への対応、
  肝臓がんの治療法についての調査、等です。  
  手を付ける余裕は無かったのですが、  
  役に立たない弁護士への懲戒請求の対応も頭から離れません。(後述します)
  精神的にはいっぱいいっぱいで、毎日、朝が来るのが辛かったです。 

ようやく退院できました。 
入院(するつもりではなかったのですが)する時は歩いて入ったのに、出る時は介助つきです。
県立のB病院へ転院しました。
現在、肝臓がんに有効な抗がん剤はネクサバール一種類しかありません。
他のがんのように、『この抗がん剤が効かないから、こっちを使おう』といったことが出来ません。
B病院では勿論ネクサバールでの治療になります。
ただ、B病院では入院して状態を見つつの投与になるとの事です。
検査の結果、残った肝臓にもポツポツと小さながんが生じていました。
すぐに入院の手続きをとり、治療を始めてもらいます。

毎朝二錠、服用し、一日おきに血液検査をします。
通常は一回四錠の服用になるらしいのですが、様子見のために二錠にしたとの事でした。
一般的に、ネクサバールには『手足が荒れる』等の副作用があると聞きます。
母にはそういった副作用は一切出ませんでした。
ただ、血液検査の肝臓の値、特にビリルビンの値が上昇してきました。
ビリルビンは、その値が上がると黄疸がでます。
『この状態ではとても抗がん剤治療を続けることはできない』と医師から告げられました。
ただ、このビリルビンの急上昇がネクサバールの副作用なのか、
がんの勢いから来るものなのかは判然としません。
ネクサバールの服用を中断して様子見をします。
時間の経過とともに肝臓の値は全般的に回復していきましたが、ビリルビンだけが上昇します。
医師から『もうあまり長くない』と告げられたのは7月半ばでした。
B病院初診時のCT画像と新たに撮ったCT画像を見比べると、
肝臓に散らばったがん細胞が少し大きくなっていました。
医者は告知することを提案しましたが、
時間が短いこと、母の性格から受け入れられないことを告げました。
結局その場では、告知はせず、一週間毎の検査を続けることが決められました。

これを受けて、調べていた保険診療外の治療を実施することにしました。
がんに対する保険外診療の治療法はいくつかあります。
その中で私が目を付けたのは『自家がんワクチン療法』でした。
ポイントは肝臓がんに効能があることでした。
この治療法は、手術で切り取ったがん細胞からワクチンを作り、それを注射するというものです。
この治療法を実施する医療機関はさほど多くありません。
私の住む大分県には皆無です。
一番近い福岡の病院で治療してもらうことになります。
早速アポイントを取り、弟と相談に行きました。
ここでもビリルビンの値が問題になりました。
『この状態で治療してもあまり効果は期待できない』と。
『高い治療(150万円)なので、できれば効果が見込める状態で実施した方が良い』とも。
この先生の話によると、ネクサバールは他の抗がん剤よりも効果が長いそうです。
従ってこのビリルビンの上昇がネクサバールのせいならば、
時間の経過とともに改善するかも知れません。
しばらく様子を見て、ビリルビンの値が下がってから実施しようということになりました。

私たちの期待に反して、ビリルビンは下がる気配を見せません。
肝臓の他の値は検査の回を追うごとに下がっていっているのに・・・です。
そのことにも焦燥の思いがあるのですが、それ自体よりも辟易としたのはB病院の医師です。
検査が終わって数時間後、必ず電話がかかってきます。
『もう長くない』『あと二週間持つかわからない』『告知したほうがいい』と。
これには本当にまいりました。
一縷の望みにかけている私には、本当に堪えました。

  この頃の私は、もう、気持ちを強く保っていることが困難になっていました。  
  ただでさえ低下している集中力がさらに落ち、
  書類を読むことも集中力を振り絞らなければなりません。      
  頭が回らず、ボーっとして、
  ふと気が付くと周りに迷惑のかからない死に方を考えている有様です。
  一日一日が始まることが酷く辛かったです。
  昇る朝日を見るたびに、神を呪いました。

終末期医療には死生観・生への哲学が必要だと思います。
B病院の医師の言うように告知して遣り残したことを済ませ、残りの時間を穏やかにすごす、
そういう対処の仕方があることは承知しています。
しかしそれは患者が自分の運命を受け入れ、
思考を前向きに転化させることができて初めて成立する対処法です。
ポジティブに捉えることができるかどうか、それまでにどのくらいの時間を要するのか、
それは個人個人、ケースバイケースです。
決して紋切り型に対処していいものではないと思います。
『あと二週間』と言われて、一体、どの位の人がポジティブな気持ちを保てるでしょうか?
気持ちを転化できなければ、それは『絶望して死ね』と言っているのと同意です。

確かに人は必ず死にます。
養老猛氏が『バカの壁』の中で書いているように、人の致死率は100%です。
だからと言って即物的に人の生を捕らえ、機械的な対処でいいものなのでしょうか?
どこからか生まれてきて、ただ死に向かっていくだけならば、人の生はなんと虚しいものでしょう。
そしてその中で『医療』の持つ意味は限りなくゼロに近くなります。

私は、個人的には、こう思います。
人は皆泣きながら生まれてきます。
だから生きている間に楽しいことをいっぱいして、沢山の喜びを持って死んでいくべきだと。
そうしてこそ人の生は意味を持ち、輝きを放てるのです。
決して絶望の中で生を終えてはならないと考えます。

母はまだ生きたがっていた。
精一杯、生きようとしていた。
孫の成長を楽しみにしていた。
まだまだ楽しいことをしたがっていた。
三年。
あと三年の生を、母に許して欲しかった。

8月14日、朝、母の様子がおかしいと連絡がありました。
救急搬送され、再びA病院に入院することとなりました。
そこで告げられたのは『後2~3日だろう』と言うことでした。
前回のCT検査から一月で母のがんは、
肝臓の中にポツポツと点在する状態から肝臓いっぱいに広がっていました。
もう造影剤を入れての検査にも耐えられないほど、肝臓は弱っているとのことでした。
ようやく私は絶望しました。

8月17日午前7時、永眠。
『早朝に旅立つ人が多い』と聞きますが、午前7時までがんばってくれたのは、
私たち家族に『ゆっくり休んで欲しい』との母らしい気遣いだったのでしょうか。



Sting『FRAGILE』



疑念
*文中赤字部分は疑念の内容です。
①A病院の検査に関して
母は4年ほど前に大腸がんの手術を受けました。
今回肝臓がんが見つかった検査は大腸がんの術後検査の一環でした。
およそ半年毎に一回、同様の検査を受けてきていました。
母の話によると、肝臓がんを宣告された昨年四月の検査の前の検査、
一昨年の秋の検査時にもCT画像に影があり、
それに対して別の先生から(CTは放射線科の領域なので放射線科の医師と思われます)
『転移ではないか?』とのコメントが付いていたそうです。
主治医はそのコメントに対して、
『大腸がんはステージゼロだから、転移などするはずが無い』と笑っていたそうです。

  疑念の第一はこの主治医の態度にあります。
  専門の医師が『転移ではないか?』と言っているということは、  
  『がんか、あるいはそれに近いものなのでは?』と疑ってしまいます。  
  母はC型肝炎の既往歴があり、 
  肥満気味で、糖尿気味と肝臓がんになりやすい条件はそろっています。
  主治医は当然そのことを知っているわけで、
  転移でなくても原発性の肝臓がんは十分に考えられたはずです。
  つまり、ここでより詳細な検査をしていれば、早期に対処できた可能性があります。  
  極簡単に言えば、『主治医の見逃しの可能性がある』と言うことです。
  そもそも自信を持って『転移など無い』と言い切れるのなら、検査など必要ないはずです。

その後、上記の通り、入院→手術→退院→再入院→敗血症という経過をたどります。

  疑念の二つ目はここの検査と処置にあります。
  敗血症は大きな手術の後には想定できる症状です。
  加えてその原因となったであろう胆汁漏も肝臓の切除手術のあとには想定できるものです。
  5月2日と6日、このどちらかにCT等の詳細な検査を行っていれば、
  敗血症という最悪の状態は回避できた可能性が高いと考えます。
  敗血症の後のリンパ節転移は、敗血症で免疫作用が低下した為と考えられますが、
  そうであれば、詳細な検査を怠ったことは大きなミスです。

  さらに、『そもそも手術の時に転移は無かったのか?』という疑問があります。
  それを窺わせる医師との会話があります。
  一つは5月2日、検査に同行した私が主治医に対して、
  『肝臓がんは転移や再発を起こしやすい・・・』と言った事に、    
  主治医は『ん?ん?』と疑問形で答えたこと、
  もう一つは敗血症が落ち着きを見せ始めた頃、『肝臓がんのステージは?』との質問に、
  『3のbです。』と答えたこと。
  がんのステージはがんの種類によって分かれますが、
  肝臓がんに『3のb』というステージはありません。
  最初の『見逃し』の可能性を否定できない以上、
  『見逃しを隠匿するために適切な検査や治療を怠った』可能性も否定できないのです。

  もう一つ、A病院の医療そのものに対する態度にも疑念があります。
  敗血症の中、痛む足を整形外科医に見てもらえなかったこと、  
  足のリハビリを理由に退院を渋ったこと、
  危険な抗がん剤治療を通院治療で行うこと、がそれにあたります。
  これらは『病院の都合』『診療科の沽券』といったパラダイムの中でしか理解できないものです。
  つまり、『患者のための医療ではない』と感じます。

②Cクリニックの態度
ここで突然Cクリニックの登場です。
Cクリニックはここ数年間の母のかかりつけ医です。
A病院に行くようになったのもCクリニックの紹介でした。
Cクリニックへは5月に再入院してから8月になるまで行っていませんでした。
8月初旬に食が細くなり、衰弱していた母に点滴を打ってもらおうと再訪しました。
B病院が遠かったからです。
点滴は打ってくれましたが、同行者に『今後一切係わりたくない』といったそうです。
高血圧の治療のためにCクリニックに時々行っていた弟にも同様の電話がかかってきたそうです。
どうやらA病院からB病院に転院したのがお気に召さないらしいのです。

  医師が、ましてや健康保険という公的制度で生計を立てている開業医が、
  診療拒否をするなど許されていいものでしょうか?
  Cクリニックはなぜ私たちが転院させたのか知っているのか?
  A病院のしたことに、連帯責任で責任を持ってくれるのか?
  ここでも『患者のための医療』ではないことを強く感じさせます。

③保険診療と保険外診療
医療には保険診療と保険外診療があります。
特に保険診療のみを行っている医師に見られたのですが、
保険適用外の治療法を見下している様に感じられました。
そして、保険診療で良い結果が出なければ、患者は見捨てられるのです。
そこに『医療』に対する疑念を抱きました。
保険診療が正しいとか、保険外診療の治療は胡散臭いとか、
そんな事は患者やその家族にとってどっちでもいいのです。
治ってくれるのならば。

未だ十分な成果が得られていない保険外の治療法でも、
将来は有望な治療法になるかもしれません。
保険診療の医師は、保険診療が万能でない以上、
保険外の治療法にも敬意をはらうべきだと思います。
そして、患者に『こういった治療法もあります』と出来る限り教えるべきです。
それをしなければ、『患者のための医療』とはいえません。
それをしなければ、『医療』に対する疑念は消えません。


後悔
時が過ぎ、少し冷静に物事を考えることが出来る様になると、後悔の念が起こってきます。
多分、私が馬鹿でなかったら、私がうつ病でなかったら、もっと強い気持ちで臨んでいたなら、
母はまだ日々を楽しんでいたかも知れません。
周囲は『頑張ったね』と言ってくれても、私自身が『ベストを尽くせた』とは思えません。
そのことは他の誰でもなく私自身が一番よく知っています。

今回のブログは、皆様に同情して欲しくて書いているわけではありません。
母を悼んで欲しいからでもありません。
私の失敗と後悔を皆様に生かして欲しいからです。

人は学べる生き物です。
『失敗から学ぶ』事は『最良の選択』を得るための近道です。
それは他人の失敗であっても同様です。
皆様がこの記事から何かを学び取ってくださり、結果、一つでも命を救えたなら、
それで私の思いは遂げられます。

①病院・医師を過信しないこと。
『患者のための医療じゃない』現実があることは上記の通りです。
その理由は、推測ですが、医師個人や診療科の治療成績等のためでは?と思います。
そういった現状から患者が自衛するためには、病院や医師を過信しないことが必要です。
少しでも不安や疑念があるのなら、他の病院も受診してみるべきです。
母のケースで言えば、告知の半年前の検査で肝臓のCT画像に影が見つかった時に、
他の病院でCT検査をするべきでした。
『病院と喧嘩をしろ』と言っているのではありません。
他の病院で検査をしなおすことで早期発見・早期治療が出来るなら、
それに越したことは無いのです。
それで医師が立腹して以降の治療を断ったりおざなりになるようなら、
所詮『その程度の医師・その程度の病院』なのです。
命を預けるに値しません。

②肝臓がんに対して無知であったこと。
無知であることは罪です。
告知を受けて肝臓がんについて調べはしました。
ただ、それを正当な重みを持って受け止めていませんでした。
甘かったのです。
ある意味肝臓がんを『ナメていた』のかもしれません。
最初の段階で、もっと深く調べていれば・・・、と後になって思います。

例えば、私が調べた『自家がんワクチン療法』。
私はがんの転移を受けて調べ始め、
実際に相談に行ったのは抗がん剤が失敗に終わった後でした。
相談に応じてくださったM医師によると、
『自家がんワクチン療法の最良の施術時期は切除手術の直後』なのだそうです。
肝臓がんは転移・再発を起こしやすいので、その予防の為に施術するのが効果的なのだそうです。
さらに、『(抗がん剤が失敗し、ビリルビンの値が上がった)現状では効果が期待できないが、
抗がん剤投与前の値なら期待できた』と教えてくださいました。
私は、無知なるが故に、切り札を切るタイミングを二度も逃していたのです。

手術→転移→抗がん剤治療という流れは、がんの治療においては一般的な流れでしょう。
しかしその流れに従って治療を行っても最良の結果が得られるわけではありません。
母のケースで言えば、
抗がん剤治療によって急速に肝臓が悪化してしまったことがそれに当たります。
保険診療の医師が頑なである以上、患者側が積極的に調べて、
保険外診療も含めた『最良の選択肢』を見つけなければなりません。

③全てを背負い込んでしまったこと
私は母が告知されてから、なるべく母のためになる様にしてきたつもりでした。
しかしそれは、後になってみると、決して母のためになっていませんでした。
今は、無我夢中で、その場しのぎで、たくさんのものを背負い込んでいったことを、
『愚かだ』と自認しています。
背負い込んで、自分自身のキャパシティを超えてしまい、
結果的にどれも中途半端になってしまいました。
己を知らない、愚か者のすることです。
勿論、うつ病であることでキャパシティは下がっている訳ですが、
それを含めて己を知らなかったのです。

もっと早くに、なるべく多くの協力者を集め、分担して事に当たるべきだったと思います。
その時に、全体を俯瞰して先のことまで考える人が必要です。
むしろ自分の役目はそれだったように思います。


重ねて言いますが、今回のブログは私の失敗から何かを学び取って頂くことが目的です。
そして、それが誰かの命を救う一助になればと思います。
どうか、『救えるかもしれない命』をあきらめないでください。
どうか、『輝き続けることを願っている命』をあきらめないでください。
衷心より、お願い申し上げます。


今年も水仙が咲く季節になりました。
でも、その花を見て喜ぶ人はもういません。
水仙は母が好きだった花、紫は好きだった色です。

                                               〈了〉


*追記①
以上のような理由で、年末年始の挨拶を自体させて頂きました。
挨拶を頂いた、YUTA様、ネオ・アッキー様、yam様には大変失礼をいたしました。
お詫びいたします。

*追記②
一昨年最初の更新で、『個人的に取り組んでいることがある』と書きました。
それは、母の医療事故裁判でした。
元々、母に悔しい思いを残して欲しくなくて始めたものですが、
今回こういう事態になり、志半ばで和解せざるを得ませんでした。
この医療事故から二つ、皆様に知っておいて頂きたいことがあります。
この医療事故は、脊椎すべり症の治療のためにペインクリニックでブロック注射を受けて、
右下肢麻痺の損害を受けたものです。

硬膜外ブロック注射は、脊椎の内部の、硬膜外腔と呼ばれる空間に麻酔液を注入して、
一定期間痛みを緩和する治療です。
ただ、すべり症やヘルニアのように脊椎が物理的に変形している場合、
硬膜外腔には狭窄部が出てきます(脊柱間狭窄症)。
この狭窄部に麻酔液が進入すると神経を圧迫することになり、強い痛みが出ます。
ですから、脊柱管狭窄を伴う病変の場合には事前にMRI等で検査し、
狭窄の様子を三次元的に把握しておく必要があります。
ところがペインクリニックではレントゲンで済ませることが一般的なのです。
また、脊柱管狭窄は病変によるものだけでなく、加齢によっても生じます。

知っておいて頂きたいことの一つ目は、
『なるべくペインクリニックにかからない様にしましょう』ということです。
大病院の『痛みの外来』ならば、そこを入り口にして様々な診療科で診てもらえますが、
ペインクリニックではそれがありません。
リスクを避けるためにはペインクリニックは敬遠するのが懸命だと思います。

知っておいて頂きたいことの二つ目は医療事故における弁護士についてです。
医療事故訴訟は大変難しい訴訟です。
誰でもが出来るものではありません。
弁護士なら誰でもいいというわけにはいかないのです。
実際、母が最初に頼んだ弁護士は、
5年間で一度の症例検討会と一回の相手方との往復書簡のみしか行動を起こしていません。
そのせいで、レントゲンという医療事故訴訟において重要な証拠を得られませんでした。
こんなずぼらな弁護士もいるのです。
当然、懲戒請求をかけました。
そして、当然ながら弁護士会は『懲戒に値せず』という結論を出しました。

医療事故にあって悔しい思いをし、弁護士を雇ってまた悔しい思いをする。
そんな想いをしたくなかったら、弁護士は選びましょう。
私は、全国展開する、医療事故専門の弁護士法人に依頼しました。
その仕事ぶりは『すばらしい!』ものでした。
何よりこちらの気持ちに寄り添って、最大限こちらの利益を守ろうと努力して下さいました。
参考までに私が依頼した弁護士法人を記しておきます。
   弁護士法人ALG&Associates
*リンクは勝手に貼ったものです。先方に迷惑のかからないようご配慮ください。

医療事故に関しては言いたい事が沢山あるのですが、それは場を変えて行いたいと思います。

*追記③
保険外診療については、パッと見ただけでも数種類がありますが、
その中で『肝臓がんに効果的』ということで『自家がんワクチン療法』を選びました。
施術に至ることは無かったのですが・・・。
自家がんワクチン療法については下記をご参照ください。
  セルメディシン
銀座並木通りクリニック
*各リンクは勝手に貼ったものです。先方に迷惑のかからないようご配慮ください。

*追記④
母の看病にA病院に通う毎日。
小さな看護師さんに出会いました。
別に身長が小さいのではなく、研修が終わったばかりのなりたての看護師さんです。
先輩ナースの指導の下、たどたどしく処置をする彼女に声をかけました。
『大変な仕事だけど、頑張ってね』と。
彼女はそれが嬉しかったのか、私の顔を覚えてくれて、
病院内ですれ違う度に挨拶をしてくれるようになりました。
長引く母の入院の間、彼女は成長し、一人でてきぱきと仕事をこなせる様になっていきました。
彼女が一人で巡回する姿は、私にとっても喜びでした。

母が旅立った朝、彼女も母を見送りに来てくれました。
その時、涙を浮かべた彼女にかけるべき言葉をかけられませんでした。
その言葉をここに記します。
彼女だけでなく、全ての看護師さんへ。
『辛いことがある仕事だけど、笑顔を忘れないで。その笑顔で患者は救われるのだから。』
彼女は立派なナースになってくれるでしょうか?






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コメント 8

YUTAじい

おはようございます。
お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
今父が胃癌再発中です・・・参考にさせていただきます。
by YUTAじい (2017-01-31 06:05) 

(。・_・。)2k

お母様のご冥福をお祈り申しあげます
俺も8年前 そんな感じでした
小さな病院で胃癌を切って13年ご肺に癌が見つかり
大きな病院を紹介いただきました
ちょうど それと同じくして俺も鬱になりました
紹介された病院で すぐに半年の宣告を受けました
13年前には母を大腸癌で亡くして居たので
その時のことが蘇り 鬱は悪化したもののなんとか
看病をできたのですが 辛かったです
大阪の叔父と揉めてしまったので最後の後悔でした
ですが その時の俺にはそれが精一杯でした
そう思うしかないんだと思います

by (。・_・。)2k (2017-01-31 13:22) 

いっぷく

大変でしたね。
そして親孝行なのですね。
私も母が70過ぎてから4度も大病しています。
私が献血をするようになったのは、
母に輸血経験があるので、血液をお返ししたいという
気持ちからです。
でも、やっぱり心のなかでは、なんで自分が親で
こんな苦労しなければならないんだという気持ちはありますよ。
4度も大病されたら、こちらの人生少ながらず犠牲になってますからね。
……と考える私は、そんなに親孝行ではないのかもしれませんね。
by いっぷく (2017-02-02 00:27) 

いっぷく

コメントありがとうございました。
母は健在です。でも歳もとり経過観察だの検査だので、定期的な外来が月に何度かあります。
我が家は妻子が元意識不明の重体で、そちらのリハビリもあるので、親孝行だけに人生を使うわけにはいかないのですが、まあ世の中いろいろな「ほしのもと」がありますね。
by いっぷく (2017-02-03 00:39) 

tommy88

お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
私はすぐに逃げる弱虫だから、ズルく生き抜けています。
また、凹みやすい自分を激励してくれるする妻がいて幸いです。
私は物事を正面から受け止める強さを持ち合わせません。
いつでも逃げています。
この、戦闘の手記を読んで、自分が情けなく思えました。
先生の思い上がりが配慮不足を生み、患者をさらに苦しめる。
医は仁術、と昔は呼んだのですが、デキの悪い先生も居るのですね。
デキの悪い教師だった私も、思い上がってたんだなと思うのでした。
残る時間で自分を修復していこうと思いました。
ありがとうございます。


by tommy88 (2017-02-14 06:49) 

KOME

信憑性については良くしりませんが、日本のがん治療はアメリカより何十年も遅れているという記事を読んだことがあります。自分自身に起きた場合は、免疫力を高める方法で行こうと思います。
by KOME (2017-02-15 08:15) 

YUTAじい

おはようございます。
五番隊・・・山県三郎右兵衝尉昌景のグループでした。
by YUTAじい (2017-04-16 09:19) 

笠原嘉

どこの診療所か記載がないので、わかりませんが
病人を診察拒否するのは明確な医師法違反にあたり
ます。
私はかなり小さい字が読みにくなって女子医大に
行きました。異常なしです。おかしいと思いません?

失礼しました。お母さまのご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございます。

by 笠原嘉 (2017-07-17 15:56) 

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